「音鉄」「録り鉄」と呼ばれる鉄道ファンがいる。彼らは鉄道やその周辺の音、発車メロディや駅構内・車内アナウンス、警笛やモーター音なども聴いて楽しむ人たちだ。そういった趣味を明確に持つひとでなくても、鉄道の音と過去の記憶が重なり、郷愁を呼び覚まされる人も多いのではないか。ライターの小川裕夫氏が、東武鉄道と音響機器メーカーのティアックに、SLの「音」をプレゼントするユニークな企画について聞いた。

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 年が明けても新型コロナウイルスの脅威は収まらない。第3波の襲来で感染者数は大幅に増えた。1月7日、政府は一都三県を対象に再び緊急事態を宣言。13日には対象の府県を拡大させた。

 昨年に緊急事態が宣言された際、多くの人たちは外出を控えた。STAY HOMEにより、飲食店やレジャー施設などでは売上が激減。経営危機に陥った。私たちが生活するために欠かせない鉄道でも、テレワークの導入などによって通勤需要は減退した。それに伴い、各社は売上を減少させている。

 政府からの要請もあって、今回の緊急事態宣言でも鉄道各社は終電の繰り上げ、減便といった措置を講じることになった。これらによって、鉄道各社は売上を減らすだろう。コロナ禍の厄介な点は、いつ収束するかの見通しが立たない点にある。現在の終電繰り上げや減便がつづけば、いくら生活に欠かせない鉄道であっても経営的に持ちこたえられない。

 そんな中、北関東一円に広大な路線網を有する東武鉄道が1月16日から風変わりな取り組みを始めている。それが、SL大樹の音をプレゼントするというキャンペーンだ。

「弊社は2017年から鬼怒川線でSLを運行してきました。同キャンペーンは、昨年9月頃から準備を進めていた企画です」と話すのは、東武鉄道広報部の担当者だ。

 東武は1966年にSLの運行を終了。しかし、「鉄道産業文化遺産の保存・活用」、「日光・鬼怒川エリアの活性化」、「東北復興支援の一助」という3つの目的を掲げて、2017年にSLの運行を復活させた。

 SLを復活させるにあたり、わざわざ各地で保存されていた良好なSLを探し回った。そして、SL運行には欠かせない機関士も費用を投じて養成した。SL復活に並々ならぬ情熱を注ぎ、多額の費用を投じている。

 東武のSLへの情熱は、鉄道ファンだけではなく沿線住民や観光関係者なども胸を躍らせた。しかし、SL大樹は観光列車としての趣が強く、運行日は週末を中心とした休日。運行本数は決して多くなく、区間も下今市駅〜鬼怒川駅の約12.4キロメートルと短い。そうした事情もあり、運行開始前から「運行そのものの収支を考えれば、赤字になる」との声も強かった。

 それでも東武はキャンペーンで集客を図りながら、SLの運行を実直に継続してきた。当初、東武で運行していたSLは一台だったが、昨年末より2台体制になった。今後、さらに増備する方針も打ち出しているほか、機関庫の拡張なども進めている。

 昨今、マンガ「鬼滅の刃」がブームになり、それに伴って各地で運行されているSLの人気も急上昇している。しかし、東武のSL運行は鬼滅ブームに乗ったものではない。

「今回のキャンペーンは、時期を3回に分けて実施します。各キャンペーンで配られる記念乗車証4枚を集めた方に、SLの汽笛の音や走行音などを録音したカセットテープを1本300円でプレゼントします、また、それとは別に、普段は聴くことができない運転室内や火床整理・点検作業の音を収録した300本限定の特別版も500円で販売します」(同)

 鉄道ファンには音鉄という、列車の走行音や警笛、踏切の警報音、駅の発車メロディなど、鉄道に関連する音を楽しむ人たちがいる。彼らは”音鉄””録り鉄”と呼ばれる。”音鉄””録り鉄”は、決して珍しいファンではない。

 とはいえ、いまや音楽もネット配信の時代。いくら鉄道の音を楽しむファンが多くてもカセットテープを使っている”音鉄””録り鉄”は少数で、再生できるプレイヤーを所有していないだろう。そうしたプレイヤーを所有していない人のために、カセットテープにはQRコードが印刷されている。それを読み取ることで、デジタル音源をダウンロードできるようにも配慮されている。

「今回のキャンペーンは、“昭和レトロ”と“音”をテーマにしています。そのため、カセットテープでのプレゼントになりました」とカセットテープでのプレゼントにこだわった背景を説明するのは、今回のキャンペーンの録音を担当した音響機器メーカー・ティアックの担当者だ。

 SL運行という華やかな舞台の裏で、ティアックの担当者は録音・音源制作という地味な作業にあたった。そこには、人知れない苦労もたくさんある。

「私たちは音響メーカーですが、鉄道に関しての知識はありません。そのため、鉄道ファンがどんな音を好むのかまでは把握していません。どうやって録るのか? どの音を録るのか? 現場では手探り状態だったのです」(同)

 また、通常の録音と異なるのが、現場には鉄道職員やお客がいるという点だ。鉄道は定時運行が原則。SLの音を収録するために特別のダイヤを組んだり、一時的に駅に停車をさせたりといった便宜を図ることはできない。

 SL大樹はダイヤ通りに運行し、それを一発勝負で録音する。録り逃しは許されない。近所の線路で予行練習を繰り返したが、そこを走っているのは電車。SLとは勝手が異なる。

 プレゼントキャンペーンの期日が迫っていたこともあり、ティアックの担当者は事前にロケハンもできなかった。現場で東武の職員の方にアテンドされながら、とにかく走り回るしかなかった。

「現場での収録には注意すべき点が多々あるのですが、ホームや車内には多くの利用者がいます。そのため、大人数での収録は難しく、人数を絞って2名で収録をしました。実際に使った機材は6機、予備も含めれば10機です。かなりハードな録り鉄になりました」

 また、機関車内にも機材を設置して、臨場感のある音を収録することにもチャレンジした。しかし、SLの機関車内は機関士・機関助士の聖域ともいえるスペース。東武の職員でも容易に立ち入ることはできない。機材を設置するという大義名分があっても、ティアックの担当者が機関車内に立ち入りできなかった。そのため、録音機器の設置は機関士・機関助士に一任するしかなかった。

「機材の設置場所も含めて、果たしてうまく録音できているのかという不安はありました。音を確認したら、特に音が割れていることもなく非常にうまく録れていました。録った音声は、データにすると約25GBの容量で、時間に換算すると約25時間もの膨大な量です。それを一本約30分に編集しています」(同)

 東武鉄道がキャンペーンでプレゼントするSLの音のカセットテープは、現地に足を運び乗車証名称を手に入れなければ購入できない。また、なくなり次第キャンペーンは終了するので、かなりの希少品ともいえる。

 いくら人気の高いSLといえども、今回の音をプレゼントするという東武の試みは一般的にマニアックと受け止められるかもしれない。しかし、録り鉄は乗り鉄のように遠くまで出かける必要はなく、自宅の近くの駅でも可能だ。線路沿いや踏切端なら密を避けることもできる。

 また、必ずしも業務用の機材を使う必要もない。自分の所有する機材で、初心者なら高価な機材を揃えず、スマホからチャレンジするのもいいだろう。

 実はコロナ禍によって、“音鉄”や“録り鉄”に追い風が吹いている。企業がリモートワークを推奨したこともあり、自宅で音楽やラジオを流しながら作業をする在宅ワーカーが増えているからだ。映像コンテンツは、見なければ楽しめない。それでは作業は捗らない。音声なら、作業の妨げになりにくい。

 昨年の緊急事態宣言では、STAY HOMEが呼びかけられた。STAY HOME期間中、鉄道ファンは自宅の鉄道模型を本物っぽく撮影して楽しむ“おうちで撮り鉄”という新たな楽しみ方を見出した。今回の緊急事態宣言の期間では、在宅ワーカーに適した“録り鉄”“音鉄”という楽しみ方がムーブメントを起こすかもしれない。

#東武鉄道 #プロ #発車メロディ #アナウンス


東武鉄道でSLの「音録り」に挑んだ音響のプロが振り返る「ハードな体験」

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