今年8月の大雨で被災し、現在も松本~渚間が不通となっているアルピコ交通上高地線で、復旧工事が始まるようだ。同時期に被災したJR飯田線の伊那新町~辰野間はは11月15日に復旧し、全線で運転再開した。アルピコ交通上高地線の復旧方針も早々に決まっていたが、工事着手は河川の渇水時期を待つ必要があったという。

田川橋りょうを渡るアルピコ交通上高地線の列車(2015年撮影)

地域情報紙「市民タイムスWEB」の報道をたどると、9月の定例市議会では、復旧時期について「渇水期となる11月から来年4月にかけて復旧工事を実施し、早ければ来年夏に運行再開できる」との見通しだった。10月14日、松本市長は市町会連合会の早期復旧の要望に対し、「工事完了は5月と見込み、6月には開通して利用してもらえるように準備を進めている」と具体的な時期を明らかにした。

JR飯田線とアルピコ交通上高地線の被災状況は似ている。8月11日から西日本を中心に大雨となり、8月20日までの降水量は「平成30年7月豪雨」を上回った。飯田線は宮木~辰野間の横川橋りょうの橋脚が傾き、線路が壊れた。アルピコ交通上高地線は西松本~渚間の田川橋りょうの橋桁が傾き、線路が壊れた。どちらも橋脚の傾きが原因になった。河川の増水により橋脚の下の地面が削られ、橋脚が不安定になって傾いた。

どちらも戦前に作られた橋りょうだ。当時の橋りょうは、大規模な橋を除けば「直接基礎」で作られた。基礎部分を川底の堅い地面に載せるだけ、あるいは川底を少し掘って埋める程度。それでも橋脚が重いから十分だった。安定させるために基礎部分を広げた「フーチング」構造も採用される場合がある。飯田線の横川橋りょう、アルピコ交通上高地線の田川橋りょうはともに台形の橋脚で、裾を広げて安定させていたが、足もとの地面を削られると不安定になる。

戦後は橋脚のほとんどが地下の支持層(深く固い地盤)まで杭を打ち込む。あるいは「ケーソン」という鉄筋コンクリートの箱を構築し、支持層に埋めている。水底表面上の土や砂利が流されても、橋脚は支持層に固定されているから安全度が増している。しかし、国土交通省はJR各社に対し、河川に架かるすべての鉄道橋について緊急の総点検を要請した。毎日新聞10月31日付「『戦前生まれ』鉄道橋を守れ 豪雨災害で被害集中 JRが緊急点検」によると、過去20年間で被災したJR各社の鉄道橋は全国に47カ所あり、そのうち42カ所は戦前に作られたという。

アルピコ交通上高地線と田川橋りょう(地理院地図を加工)

橋脚の修復時期の差は、橋脚の場所の違いによるものだった。横川橋りょうの基礎は中州の上にあり、その上に仮の橋脚を設置した。JR東海は黒字だから全額費用負担する。だから話は早い。ただし、本復旧の時期は未定となっている。

一方、田川橋りょうの基礎は水の流れの中にある。橋脚を新たに作るとしても、水が流入すれば作業ができない。したがって田川橋りょうの復旧工事は11月からの渇水期に実施する。アルピコ交通上高地線は赤字だから、県や国の支援を求めたい。そうなると手続きに時間がかかる。幸いにも、国が支援に前向きとの回答を得た。11月の工事着手に間に合った。

■上高地線は生活路線であり、観光路線でもある

上高地線は1921(大正10)年、筑摩鉄道の島々線として開業し、翌年に全線開通した。2021年は開業100周年、来年は全線開通100周年となる。松本市西部地域の生活路線であると同時に、ダム工事の資材運搬、上高地観光の主要ルートでもある。1932(昭和7)年に会社名を松本電気鉄道に変えた。戦後、高度経済成長期の旅行観光ブームが到来し、路線名を上高地線に改称。島々駅では上高地方面へ向かうバスに乗り換える登山客や観光客が増えた。

アルピコ交通上高地線は、松本市内から上高地方面へのアクセスルートになっている(地理院地図を加工)

ところが、島々駅は周囲に平地が少なく、乗客とバスの増加に対応できなかった。そこで1966(昭和41)年、ひとつ手前の駅付近にバスターミナルを整備した。この駅が新島々駅で、現在の終点だ。新島々~島々間の運行はその後も継続したが、1983(昭和58)年の台風で土砂流入被害を受け、復旧せずに廃止された。その結果、上高地線は松本~新島々間の14.4km、所要時間は約30分となった。

上高地線にとって追い風は、上高地の「マイカー規制」だった。昭和40年代に車が普及したことも手伝い、上高地に乗り入れるマイカーは増え続けた。駐車場渋滞、違法駐車、排ガスによる環境破壊などが問題となり、ついに1975(昭和50)からマイカー規制がスタート。1996(平成8)年、通年でマイカーの通行が禁止された。

マイカー規制の結果、上高地へのアクセスはおもに「沢渡または平湯の駐車場に車を置き、シャトルバスに乗り換える」「松本駅や長野駅から上高地行きの路線バスに乗る」「東京・名古屋・大阪・京都から直行の高速バスに乗る」「上高地線に乗って新島々駅からシャトルバスに乗り換える」の4つになった。これらの中でも、公共交通機関の利用で最も定員の多い手段が上高地線経由だった。

■国も「現行制度でできる最大の支援」

マイカー全面禁止となった1996年、上高地線沿線がテレビドラマ『白線流し』の舞台になった。高校生男女7人の青春群像劇で、上高地線沿線の通学風景が何度か映し出され、当時の主力車両5000系(元東急5000系)の白い車体も登場する。上高地線の知名度を全国的に高めた作品になった。

ドラマでは岐阜県の高校で行われた行事をまねて、卒業記念に白いスカーフ、学帽の白線などに将来の夢などを書いて結び、川に流す場面がある。この川は薄(すすき)川で、下流で田川と合流する。長瀬智也さんらが演じる男子生徒が川に入り、白線を拾っていたが、拾えなかったら田川橋りょうの下を流れたかもしれない。

生活路線としての上高地線を2018年のデータで見ると、年間約171万人が利用し、そのうち通学定期券が約90万人と半数以上に及ぶ。通勤定期は約23万人。通学・通勤定期の利用者が全体の約66%を占め、それだけ生活に密着した路線ともいえる。現在も上高地線は生活路線・観光路線の両面を持つ鉄道路線として市民に親しまれている。つまり、上高地線の不通は沿線地域の生活と上高地観光の両方に大きな影響を与えることになる。

上高地線の部分運休は8月14日夕方から始まった。代行バスでは時間が読めないため、通学・通勤利用者は早めの出発が必要になった。復旧を前提とした取組みがはじまり、8月25日に鉄道・運輸機構の調査が行われた。翌日には、市民有志「しましま本店実行委員会」による「上高地線田川橋梁早期復旧応援プロジェクト」も立ち上がった。

調査の結果、傾いた橋脚を交換し、橋桁の修理で復旧可能と判断された。国土交通省は9月2日、「復旧費について財政支援の方法を具体的に検討する」意向を示した。10月7日、松本市長とアルピコ交通の社長が国土交通省を訪問し、鉄道局長へ財政支援を要望した。復旧費用は約2億円。国土交通省は「現行制度を最大限活用し、地元の負担が最小になるよう取り組む」と約束した。

上高地線では現在、元京王電鉄3000系が白を基調とした塗装となって運用され、うち1編成にモハ10形リバイバルカラーのラッピングが施されている。今年6月の信濃毎日新聞の報道によると、3000系の置換え用として、東武鉄道の車両20000系を導入する予定だという。中間車2両を改造するため、運転席付近のデザインは異なる。第1編成は2022年3月から運行開始し、4年間で3000系4編成をすべて置き換えるとのことだった。

アルピコ交通から正式発表がないため、橋りょうの不通、復旧工事が「新車」導入にどのような影響を与えるかは不明。3000系の乗り納め、20000系改造新車の乗り初めをするなら来年6月頃だろうか。全線運転再開が楽しみだ。

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アルピコ交通上高地線、全線再開は来年6月 – 車両置換えも気になる

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