夕張メロンの産地として知られる北海道夕張市は、かつて日本を代表する炭鉱の街であり、産出した石炭を室蘭港や小樽港に向けて積み出す運炭鉄道に端を発する鉄道が、市内を縦横無尽に走っていた。しかし、1960年代にエネルギー政策が石炭から石油中心へと転換されると、炭鉱の街は徐々に活気を失い、人口減少とともに鉄道も消えていった。

三菱石炭鉱業大夕張鉄道の南大夕張駅跡に保存されているラッセル車「キ1」と客車・貨車

現在、鉄道廃線跡は夕張の観光資源のひとつになっている。今回は夕張のおもな観光名所を巡りながら、鉄道の走った痕跡を確かめていきたいと思う。

■かつて、夕張を走った鉄道

まずは夕張の場所を確認しよう。夕張市は札幌市の東およそ50kmに位置する。すぐ東には、夏の雲海や冬のスキーリゾートで知られるトマムがある占冠(しむかっぷ)村、北東にはラベンダー畑などで知られる富良野市がある。

北海道の空の玄関口・新千歳空港からは、レンタカーで夕張ICまで約40分(ターミナルからレンタカー店までの移動・受付時間を除く)、鉄道であれば快速「エアポート」と石勝線の普通列車を乗り継ぎ、新夕張駅まで1時間ほどである。鉄道ファンなら鉄道旅を選択したいところだが、新夕張駅付近にレンタカー店はなく、夕張市内を走るバスの本数も少ないため、千歳市内でレンタカーを借りるのが現実的である。

ゆうばり鉄道廃線跡マップ
かつて夕張で運行されていた鉄道路線図(夕張市石炭博物館展示)
夕張の炭鉱と鉄道(夕張市石炭博物館展示)

夕張に到着したら、かつて市内を走っていた鉄道路線についての知識を得るため、市内各所で無料配布されている「ゆうばり鉄道廃線跡マップ」を入手するか、後述する夕張市石炭博物館に展示されている路線図を見に行こう。森林鉄道や炭鉱専用線まで含めるとかなりの数になるが、おもな路線は旅客営業も行っていた下記の3路線だった。

●石勝線夕張支線

新夕張~夕張間を南北に結んだこの路線は、3路線の中で最も古い歴史を持つ。1888(明治21)年、夕張で最初の石炭の鉱脈が発見され、その後、炭鉱が開鉱すると運炭のため、1892(明治25)年、北海道炭礦鉄道(北海道炭礦汽船=北炭の前身)により追分~紅葉山(現・新夕張)~夕張間が開業した。北炭により先行開業していた現・室蘭本線の支線扱いだった。

1906(明治39)年に国有化されると、夕張線と呼称されるようになる。ずっと後年の1981(昭和56)年に石勝線が全通すると、紅葉山駅は駅名変更で新夕張駅となり、新夕張~夕張間が石勝線の夕張支線となった。なお、国鉄夕張線には登川支線(紅葉山~登川間)という支線もあったが、石勝線全通を前に廃止されている。

夕張駅に停車中のキハ40形(2017年8月撮影)

夕張支線は2019(平成31)年4月に廃止された。その過程で、一般的なケースとは逆に自治体(夕張市)側からJR北海道に廃線を申し入れ、当時の鈴木直道市長(現・北海道知事)主導の下、新たな交通モデル構築にJR北海道の協力を求めるという「攻めの廃線」を展開したことが注目された。

●三菱石炭鉱業大夕張鉄道

夕張支線の清水沢駅から分岐し、シューパロ湖畔に向かうこの鉄道は、三菱大夕張炭鉱や三菱南大夕張炭鉱などの運炭を目的に敷設された。1911(明治44)年に清水沢駅から二股駅(後の南大夕張駅)まで開業し、1929(昭和4)年に通洞駅(後の大夕張炭山駅)まで延伸された。1973(昭和48)年に三菱大夕張炭鉱が閉山すると、南大夕張~大夕張炭山間が廃止に。残った清水沢~南大夕張間も、1990(平成2)年の三菱南大夕張炭鉱閉山を待たず、1987(昭和62)年に廃止となった。

廃線後の2015(平成27)年、夕張シューパロダムが竣工したことにより、シューパロ湖の水域が拡大し、廃線跡の一部が水没した。現在、ラッセル車(除雪車)1両・客車3両などが、三菱大夕張鉄道保存会の手によって南大夕張駅跡に保存・公開されている。

●夕張鉄道

夕張市西部の山地を越え、現在の栗山町を経由し、小樽港へ石炭を積み出すための短絡ルートとして、北炭が敷設した路線が夕張鉄道である。1926(大正15)年、栗山~夕張本町(開設当時の駅名は新夕張)間を開業。1930(昭和5)年に栗山駅から野幌駅まで延伸された。運営は北炭の子会社だった夕張鉄道(現在もバス会社として存続)が担当した。全盛期には、国鉄が運行した準急「夕張」(札幌~岩見沢~夕張間)に対抗して急行列車を走らせたこともあった。

石炭産業の縮小とともに、1974(昭和49)年に旅客輸送を休止し、1975(昭和50)年には貨物輸送を含め、全線が廃止された。

■炭鉱の街の歴史を知る

それでは、夕張市内の主要な観光名所と鉄道廃線跡を巡ることにしよう。最初に向かうのは夕張市石炭博物館である。

夕張市石炭博物館の外観
「石炭の歴史村」のシンボルだった立坑櫓

夕張ICから新夕張駅前を通過し、国道452号を北へ向かい、清水沢で分岐する道道38号をさらに北上する。夕張ICから距離にして約20km、30分ほどで夕張市石炭博物館に到着する。同博物館はテーマパーク「石炭の歴史村」の中核施設だった歴史がある。

夕張市は石炭産業が縮小すると、「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして、1983(昭和58)年に北炭夕張炭鉱跡地で「石炭の歴史村」を開園した。しかし、2007(平成19)年に夕張市が財政破綻したことで、市からの業務委託料で運営が成り立っていた「石炭の歴史村」を運営する第三セクターも経営破綻。その後、他の業者が運営にあたり、遊園地などは閉鎖された。最後まで残った石炭博物館が2018(平成30)年にリニューアルオープンし、現在に至る。

石炭博物館へ向かうには、かつてテーマパークだった廃墟の中を進むことになる。このように書くとB級施設に思われるかもしれないが、石炭博物館は至ってまともな、見応えある施設だった。

紅葉山駅(現・新夕張駅)構内(夕張市石炭博物館展示)
「夕張の炭鉱と鉄道」のコーナーには動画も放映されている。画面に表示されているのは夕張鉄道の気動車(夕張市石炭博物館展示)
夕張市石炭博物館「地下展示室」入口
夕張市石炭博物館「地下展示室」。坑道内で使用されていた架空線式電気機関車などが展示されている

本館で夕張の歴史に関する展示を見た後、地下展示室に入ると、石炭採掘作業の様子が等身大のフィギュアを用いて再現されている。また、かつて炭鉱内で実際に使用していた器具・機械等のほか、石炭の採掘で炭層を掘削する際に使ったドラムカッターのデモ運転なども見学できる。ただ、残念ながら、石炭博物館見学の中心である「模擬坑道」は2019(平成31)年4月の火災発生後、休止しており、2023年度の再開に向けて調整が進められている。

#鉄道路線の廃止 #JR北海道 #鉄道遺構 #廃線跡


炭鉱の街を走った夕張支線・三菱大夕張鉄道、廃線跡の「今」を行く

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